チャップリンの殺人狂時代
チャップリンの殺人狂時代
★★★★★★★☆☆☆
- 出版社/メーカー: パイオニアLDC
- 発売日: 2000/02/25
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When? 2009.03.17
Where? DVD
スタッフ
製作,監督,脚本,作曲・・・チャールズ・チャップリン
原案・・・・・オーソン・ウェルズ
撮影・・・・・クルト・クーラン、ローランド・トザロー
カメラ・・・・ウォーレス・チューニング
助監督・・・・ロバート・フローリー、ウィーラー・ドライデン、レックス・ベイリー
音楽監督・・・ルドルフ・シュレーガー
編集・・・・・ウィラード・ニコ
美術監督・・・ジョン・ベックマン
ヘアメイク・・ヘドヴィッグ・ジョンド
公開・・・・・1947年
上映時間・・・124分
原題・・・・・MONSIEUR VERDOUX
キャスト
チャールズ・チャップリン・・アンリ・ヴェルドゥ
マーサ・レイ・・・・・・・・アナベラ・ボヌール
イザベル・エルサム・・・・・グロネイ夫人
マーガレット・ホフマン・・・リディア・フローレイ
マリリン・ナッシュ・・・・・娘,後に軍需会社社長の愛人
マージョリー・ベネット・・・グロネイ夫人のメイド
メイディ・コレル・・・・・・ヴェルドゥの妻
チャールズ・エヴァンズ・・・モロー刑事
メモ
・珍しく喜劇色が少なく、シリアスな展開。
・生前、チャップリン自身がこの映画を最高傑作と評価していた。
・主人公が処刑に向かう前の台詞"One murder makes a villain; millions a hero. Numbers sanctify"(「一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。数が(殺人を)神聖化する」。元は英国国教会牧師で奴隷廃止論者、ベイルビー・ポーテューズの言葉)は、チャップリンの代表作に押し上げた原因とされている。
・チャップリンは、チャーリーにおいてはアザラシから作った付け髭をつけていたが、この作品では自前の髭を蓄えている。
・この作品がきっかけとなり、赤狩りによるチャップリン排斥の動きがますます加速し、1952年のアメリカ追放へとつながった。
※赤狩り・・・政府が国内の共産党員およびそのシンパ(sympathizer―同調者、支持者)を、公職を代表とする職などから追放し、社会的地位を貶めること。主に、第二次世界大戦後の冷戦下にある1948年頃から1950年代前半にかけてアメリカの影響が強い西側諸国で行われた。
制作の経緯
①第二次世界大戦真っ只中の1942年秋、1920年代のフランスに実在したアンリ・デジレ・ランドリュー(1869-1922) という殺人鬼をモデルにした映画の脚本を書くので、その映画の主演をしてもらいたい、とオーソン・ウェルズがチャップリンに持ち込んだ。アイデアだけで脚本を書く以前の段階であったため、その場は断る。
②チャップリンは後にそのアイディアを別の形で映画化することを思いつく。トラブルを避けるために、ウェルズに連絡して「原案」のクレジットを入れ、5000ドルを払うが、実質はウェルズは何もしていない。ただし、後にウェルズが『殺人狂時代』の産みの親は自分だと吹聴したことにチャップリンは心を痛めたという。
③チャップリンは映画化に際し、ランドリューのエピソードにウェインライトというイギリスにいた殺人鬼を掛け合わせた形の主人公「アンリ・ヴェルドゥ」を考案。脚本の完成に、検閲の影響を挟んだこともあったが2年をかけ、1946年5月から撮影を開始した(ラストシーンから撮影した)。
④しかし、チャップリンは様々な困難にぶち当たる。
まず時代の変化。第二次大戦では圧倒的物量で勝利したアメリカであったが、フィルムなど軍用に優先的に回される資材は不足していた。気が済むまで撮り直しを繰り返すことが常であったチャップリンにとっては、フィルム不足は頭の痛い話であった。さらに、信頼していたスタッフの多くが亡くなったり引退して、かつてのような手法で撮影することははなはだ困難であった。
⑤さらに、この映画の撮影に入る前、チャップリンは別の映画の企画をしており、その映画に主演で起用する予定であったジョーン・バリーという女優にストーキング行為をされた挙句、バリーの子供の認知裁判に巻き込まれる。血縁関係がないことは証明されたが、平和主義者・共産主義者として糾弾されていたチャップリンに不利な判決(慰謝料・扶助料等の支払い)が下った。
⑥そして、一番大きな困難はやがて来る「赤狩り」であった。大戦中、ソ連を助け第二戦線構築を訴えていたチャップリンを反共団体などが「共産主義者」として糾弾。大戦後、アメリカに亡命していた友人で作曲家のハンス・アイスラーが共産主義者として糾弾された際、アイスラーを擁護するコメントを発したことが、さらにバッシングを大きくさせた。
⑦撮影は1946年9月に終了し、後は公開するだけとなった段階で、チャップリンに対する非難は手の付けられないレベルに。在郷軍人団体やカトリック団体などが猛烈な上映反対運動を繰り返し、上映を予定していた映画館などに脅迫を繰り返して上映をやめさせる動きを盛んに行った。こうした妨害を何とか排除しつつ1947年4月11日にニューヨークで封切られたが、興行成績は悲惨なものであった。チャップリン自身は1200万ドル(約43億円。1ドル=360円で計算)の利益を目論んでいたが、結果は32万5000ドル(約1億円強)であった。これはチャップリン映画で通常「失敗作」と呼ばれる「巴里の女性」などよりも悪い興行成績であり、チャップリン映画で唯一純損失が出た映画でもあった。失敗の影響は、以前から経営不振が伝えられていたユナイテッド・アーティスツの経営をさらに圧迫させることにもなった。
⑧アメリカでの失敗の一方で、遅れて封切られたヨーロッパなどではまずまず好評だ。しかし、そういったニュースも1943年に結婚した愛妻ウーナの深い愛情も傷ついたチャップリンの完全な癒しにはならず、やがて苦難のアメリカ追放を迎えることとなる。アメリカでこの作品が正当に評価されるようになったのは、ベトナム戦争に対する反戦運動が高まった1970年代になってからである。
⑨なお、純粋にランドリューを主人公にした映画も。1962年に製作されたフランス映画 Landru (日本では劇場未公開、ビデオ題『青髭』)で、監督は「殺人狂時代」を高く評価しているクロード・シャブロルである。シャブロルは「ランドリューは単なる変わり者だが、ヴェルドゥは哲学者」と述べている。
箇条書き
・最初のスタッフロールが良い。
・お金の数え方が良い。いつものチャップリンらしい。早送りしてる?
・パリが舞台の映画って多い!オードリーの作品とか。撮影しやすいの?
・猫はモノクロでも可愛い。
・エンデュミオン=ギリシア神話に登場する人物
・家は(少なくとも2階は)スタジオのセットの中なんだ。
・チャップリンって嘘が上手そう。
・フラン(franc)。1フランは100サンチームとされる。
・コーヒーをパンにつけるの?えー。
・拾った猫、妻の家で飼ってる猫、よく猫が出てくるなあ。
・ショーペンハウエル/自殺論
・「立派な男を捨てて、下らない男と一緒になる。」
・「愛とは現実的でとても深いものよ。」
・「君の哲学に毒されそうだよ。」
・どうして2度目に助けた娘と会った時、少しCGなんだろう?撮り直したの?
・カバンにも鍵!
・人は簡単に殺すくせに、自分のことになると凄い騒ぎ様
・湖を覗きこんで「化け物よ!」「私だったわ。」
・馬鹿な女は扱いやすい。
・態度のでかい女はお尻もでかい。
・花屋の店員までメロメロ!
・人がいーっぱいとか、お偉いさんの映像はどこかから持ってきたの?
・世界恐慌で目が覚めた、という人は多かったのかな
・「生きる理由は無いわ。だから運命に沿って生きていくのよ。」
・「罪を犯さずに、人間には何が出来ますか?」
・死刑直前には煙草とラム酒をくれるのね。
感想
苦しい苦しい狂うしい。
あまり何と言ってよいかわからない作品。掴めない感じ。
とても面白いし、映画のお手本的作品。
皆狂っている。
長い長い死ぬまでの時間を皆どうやって過ごしているのだろう。
主人公以外、みんな時計の動きが違う、と言うか、
主人公とは誰も針の動きが合っていない、そんな感じがしました。
こういう時、深いところまでわからない自分の感性が悔しい。
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E7%8B%82%E6%99%82%E4%BB%A3_(1947%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
Yahoo!映画
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id14691/